魂を宿す日本刀

古来より刀剣には神が宿ると考えられ、江戸時代、日本刀は「武士の魂」を表わすものとなりました。
武士の持つ忠孝・質素・礼儀・清廉・忍耐の精神の象徴でもあります。
日本人の精神性を象徴するものとしても現代にも受け継がれてきました。
日本刀に長く携わる私も驚く「魂を宿す日本刀」とのエピソードをご紹介したいと思います。

  • 刀身
  • 拵
  • 揃いの銘

昭和40年代後半、日本は空前の日本刀ブームに沸いていました。
その殆どが投資目的で日本刀の値段は5年間で3倍になったといわれます。

当時、就職して間もない私にとって日本刀はとても手の出る物ではありませんでした。
幸い、私の実家には一振りの刀がありましたので、それを入念に鑑賞、研究することができました。

その刀は定寸で、鞘に勝虫を散り塗りにした拵に入っていました。
銘は無く、花押と文政年紀が入っていました。
家伝では水戸烈公(徳川斉昭)所持ということでした。
烈公の作刀も花押のみであり、もしや烈公の作ではないか?と多くの人にも鑑ていただいたが判明には至りませんでした。
私見ではこれは烈公有縁の誰かの遺作で、世に二つは無いであろうとの結論に至り、この件に関しては終着しました。

そうしているうちに、私は日本刀が趣味となってしまいました。
郷土の刀剣研究家、中津勝己先生に師事し手解きを受けた。
その後、師の推薦により岡山県立博物館の刀剣手入れ員も拝命し、保存協会の研磨研修にも参加しました。
そうしたことが下地となり、当時の職場を退職し、迷わず「刀剣 備前屋」を立ち上げました。

開業して10年程経ったある日のこと、とある刀の買取依頼の方がご来店されました。
それは外装も何もなく全身が真っ赤に錆びていた平身の小脇差でした。
何とも痛々しい姿と思いながら茎に目をやったそのとき・・・、私は思わず息をのみました。

それは紛れもなく家伝の花押の刀と同作の脇差であった。
あまりの驚愕に目が釘付けになり、しばらく声も出ませんでした。
なんという因果であろう、世の中にこのようなことがあるのだろうか。

当時、大小一腰のものであったが人間の身勝手な欲望により離れ離れにされたに相違ない。
大は小を呼び、小は大を求めて幾星霜の放浪の末に、やっとの思いでここに辿り着いたのだ。

私にできることは、この大小を決して離れ離れにさせてはならない・・・そのことであった。
その為の一助として、大刀の拵に沿うような金具を探し、工作を行いました。

そしてついに大小の姿を揃えて一つとなる事ができました。

日本刀はただの鉄製品ではない。
魂を宿している、そのことをはっきりと認識した出来事でした。

令和4年盛夏 備前屋主人 片山光一

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